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母乳育児ママ必見!我が家の断乳の方法・手順をまとめました

 

子供を育てていると、その都度親子で乗り越えなくてはならないイベントがやってくる。

その中でも特に、多くの人が悩み、家庭環境や子供のタイプによって様々になるのが、おっぱい卒業というイベントだろう。

我が家の息子は結果的には1歳6ヶ月というタイミングで断乳に成功した訳だが、決して最初からそれを想定していたわけではない。

さまざまな環境的要因、本人と親の都合などにより、このタイミングでの卒業となった。

この記事では断乳を決意したいきさつ、断乳の方法、そして息子の反応と結果などを紹介します。

 

卒乳するまで特に何もしなくていいか、と考えていた私

おっぱい大好き息子

私の息子は、それはもうおっぱい大好きっ子で、一歳を超えたあたりからのおっぱいへの執着心はすさまじく、リビングで腰をおろそうものならおっぱいをせがむという有様だった。

特にお腹が空いているわけではないが、口寂しいからと頻繁におっぱいを吸う…近所のママさんたちとの間でこれを「暇乳(ひまちち)」と命名するぐらい、母乳育児している家庭ではよくある風景のようである。

息子は離乳食の進みも芳しくはなく、栄養の多くを母乳から取っているような状態であった為、断乳をする決心がつきづらく、ズルズルと母乳育児をしていた。よく言う「おっぱい辞めたら、ご飯いっぱい食べるようになるよ〜」という説も頭にチラついていたが、「母乳と離乳食は別物。辞めたからと言って必ずご飯が進む訳ではないので子供の様子を見ながら進めましょう」という説も頭にあり、今ひとつ決心できずにいた。

便利すぎるおっぱい

そして何よりも断乳を渋った大きな要因は、おっぱいは既に、寝かし付けアイテムとして確固たる地位を築いており、それなしに生活することが、全く想像できなかったことであろう。

昼寝も夜の就寝も、寝かし付けはおっぱい。まさに添い乳、添い乳の嵐である。夜中に息子の目が覚めてしまったときも、半分寝ながら乳首を差し出せば問題なく寝付くのだから。

日中に大泣きした時の、最後の切り札であるおっぱいを失うということも、断乳を渋る十分な理由であった。こうやって振り返ると、どんだけおっぱいに頼っとんねん!という話であるが、いや〜ほんとに便利なんですわ、おっぱい。

当時母乳育児で不便に感じることも多少あったかもしれないが、自分にとっては、圧倒的に母乳を駆使した方が色々と楽だと感じていたのは間違いない。

意図的に辞めさせる断乳ではなく、自然に子供からおっぱいを離れる卒乳、というケースを待ってもいいかな〜なんて呑気に考えていた。

乳腺炎、そして桶谷式との出会い

度重なるおっぱいトラブル

そんな私がなぜ断乳に踏み切ったのか。その理由は息子が1歳2ヶ月を超えた頃に突如襲われた、度重なる乳腺炎であった。

おっぱいをたくさん吸わせている時期には何を食べてもほとんど詰まらないのが自慢の我が母乳であったが、この時期は頻繁に乳首に白い斑点ができる「白斑」というものにかかり、その度に激痛、飲ませても飲ませてもスッキリしない、岩のような乳を手で絞る、の繰り返しであった。

なんとか普通に生活できる程度の痛みであったため、自然にマシになるのを待ちながら生活していたが、ついに、もうガマンできないという痛みに達してしまい、かの有名な「桶谷式」クリニックに頼ることを決意。

桶谷式とは…桶谷式乳房管理法 桶谷式乳房管理法(おけたにしきにゅうぼうかんりほう、英:Oketani Method)とは、桶谷そとみ(おけたにそとみ、1913年2月8日 – 2004年1月6日)により創始された独自の乳房マッサージ法のこと。『 母児一体性の原理』の理念に基づき、母乳哺育全般にわたる指導も含むものである。この桶谷式に基づいたクリニックは全国にある。

近所の桶谷式クリニックをネットで調べるまくるも、お子様は預けてくださいの表記に困惑する自分。

当時は、息子の人見知りが一番激しい時期で、親に預けようものなら預けてる間ずっと泣きっぱなし間違いなしという有様であったため、できれば連れていきたい…という想いでやっと見つかった、子連れOKの桶谷式の母乳育児相談所!

一人のおばあちゃんが、切り盛りしている院で、電話の受け答えも一切無駄のなく淡々とした様子…(笑)その淡白さにちょっと、怖い?と最初は思っていた私であったが、実際に会ってみると、先生はとっても気さくで話しやすいおばあちゃんであった。

初めての桶谷式…その手腕に感動!

子供は枕元でおもちゃで遊ばせながら、私は、ベットに横になり施術を受けることに。

出産をした病院でのおっぱいマッサージを思い出すと、とにかく痛い記憶しかなかったのだがさすが桶谷式!

全く痛くない!痛くないのに母乳がピューピュー出る!

カチコチだったおっぱいも帰る頃にはふわふわのおっぱいになっていた。

この施術を受けている間は先生とずっとお話してたのだが、そもそも、なんで詰まるんですかね〜?脂っこいもの、食べすぎでしょうか?と尋ねたところ、ちょこちょこ頻繁に吸わせるのが良くないとのこと。

私の勝手なイメージでは桶谷式=厳しい食事制限だったので、かなりびっくり!

同じ桶谷式でも、先生によって指導方針は多少異なり、食事から指導が入ることもあるようなので、戦後のような食事をとれ!と怒られたらどうしようと考えていた私にとっては、少しありがたい対応であった。

改善すべきは食事ではなく吸わせ方!

先生のおっしゃるところによると、おっぱいをたくさん飲ませる生後間もない時期から、慢性的に母乳の質に悩んでいたら、食事の見直しも提案するとのことだが、母乳メインで過ごしていた頃は特にトラブルは起きなかったこと考えると、食事内容というより、吸わせ方の問題じゃないかとのこと。

基本は離乳食だが、口寂しい時にちょこちょこ吸わせる…というのは中途半端で、おっぱいにとってあまり良くないらしい。

「吸わせるならしっかり吸わせる!じゃなきゃ詰まって当たり前よ!」と、一喝された。

そして、一言「まぁ、この年ならおっぱいを卒業しちゃうのも一つの手ね。案外ね、辞めてみたらすぐ忘れるから!まぁお母さんの気持ちが一番だけどね」というこの一言により、ついに私も母乳を手放す時期が…と感慨深くなったものである。

先生から教わった断乳の手順

そのまま先生から断乳の手順など教えてもらい、頭に刻みつける。

とにかく断乳決行日は、子供の大好きな場所に出掛けるなどして身体を疲れさせるように遊ばせること。

夜も特別に夜更かししちゃえーぐらいの気持ちで無理に寝かしつけようとせずに過ごす。

お菓子やテレビもその日は特別にOKにしちゃえばいいのよ、とアドバイス。

それに加えて、断乳当日の朝はあらかじめ、最後の授乳を終えたらおっぱいに顔を書いて、もうおっぱいではなくなったことをアピールしておくこと。

油性ペンで書いて、お風呂に入ってもとれないように。

乳輪を黒くつぶすなどしておっぱいに見えないようにするのが大事。

最初の3日ぐらいは夜泣くかもしれないけど徐々に子供も諦めてくれる、とのことだった。

いざ!断乳決行を支えてくれたカレンダー作戦

とは言っても、私も来院後すぐには断乳を始める決心がつかずにいた。

実は子供がおっぱい離れできないんじゃなくて、親の自分が卒業できないんだなー、と痛感したものである。

やはり、我が子のおっぱいを吸う姿は可愛いし、今までの生活スタイルを一変させるのには少し勇気がいるものだ。

そこで考えたのがおっぱい卒業カレンダーである。

これも割とよく知られたメジャーなやり方ではあるが今思えば、ある日突然なしよ!と言うより、自分にとっても息子にとっても、受け入れやすかったように思う。

まず30日分の日付を書き、最後の日にはアンパンマンの絵を書いた。

そして毎朝起きたら親子でカレンダーの前に行き、大きくバツをつける。

「このバツで、いっぱいになったらおっぱいバイバイだからね。おっぱいがアンパンマンになるからねー。」と一応語りかけ。

あまり脅迫めいてもいけないので、これを伝えるのは朝の一回だけ。

こうして少しずつ子供に理解させる。聞いた話だと、子供もだんだん分かってきてカレンダーの前に行くのを嫌がることもあるらしいのだが、うちの息子に関しては一切そんな素振りはなし。

むしろ最後の日のアンパンマンをみて、はしゃいでいる様子である。

うーん、こりゃ多分分かってないな(笑)

当時1歳4ヶ月。私の言うことをどこまで理解していたかは定かではないが、私自身の心の準備には大いに役立ったことは言うまでもない。

実際に我が家に貼っておいたカレンダー。一発書き、5分もかからずに作成。

断乳当日からおっぱいを完全に忘れるまでの流れ

断乳当日、息子の反応は?

いつものようにおっぱいを吸わせ、カレンダーのアンパンマンに大きく丸をつける。

「やったね、今日からおっぱい卒業だね!おめでとう!」あくまで明るく。

そして、息子のいない場所でいそいそと油性マーカーでアンパンマンの顔を記入。

これが、意外と難しい。

自分の乳房にアンパンマンを描くなんて奇怪じみた行動を平気で淡々とこなす自分に、私も母親になったのだなぁ、と少々感慨深く思いながら、鏡に映った頼りないアンパンマンの顔を見る。

きっとこれも、ママ界ではさほど珍しいことではないのだろうな。

いや、どうなんだろう。どれぐらいの人が乳に顔作戦を決行するのか統計があったら教えて欲しいものである。

そして、何食わぬ顔でリビングに戻り、いそいそと出掛ける準備。

ふとリビングに腰を下ろすと、いつものように服をめくりあげる息子。(きたきたきた〜、どんな反応だろう。絶叫するのだろうか、シクシク泣いてしまったらどうしよう、ドキドキ…)

「チラッ」
「……」
「プイッ」
(なーーーにーーーー、無反応、というか見てみぬふりーー!なんか見ちゃいかんもの見ちゃったわ〜的な反応〜〜?!?)

息子の地味なリアクションに私がずっこけつつ、アンパンマンになりふり構わず乳首を吸ってこないことにホッとする。

おっぱいを忘れるぐらい楽しい一日を!

そこからは二人で少し遠くのリニア鉄道館へGO!

電車や新幹線に興味を持ち始めた息子にとってはまさにパラダイスである。

あえてお昼寝の時間にかぶるように出発し、期待通り、車で入眠。

よしよし、ここまではいい調子。

到着後も、おっぱいのおの字も思い出していない様子でひたすら電車フィーバー。

まぁ、今までも外出中に無理におっぱいを吸おうとすることはなかったので、ここまでは想定の範囲。

問題は家に帰ってからであろう。

家に戻り夕飯を食べ、少し一息…という時に、いつもの様子で服をめくりに来る息子。

あーはいはいと、アンパンマン生息中の乳を見せると、息子は硬い表情で目をそらし、離れていくのであった…。

(この子…ちゃんと分かってるじゃん(涙)あああ、いま頑張ってるねぇ…。。。)

息子が予想以上に状況を飲み込めていることに、成長と寂しさで少し涙が出そうな私。

いや、ほんとに、これは成長を感じるイベントだったのね。

そうして、お風呂も特にタオルを巻くなどせず、普通にアンパンマンとともに入浴。

特に問題なし。お風呂上がりも、いつもより手厚く遊んで楽しい時間を心がける。

その頃私の乳はと言うと…

ここまで特に触れてこなかったが、この時私のおっぱいはカチカチの岩のようであった。

あまり自ら搾乳すると余計におっぱいを作ってしまうのでできるだけ絞らないようにしなくては…と思っていたが、あまりにもカチカチなので、少し圧を抜く程度にはこっそり絞っていた。

さぁここで、そろそろ寝かし付けの時間である。

車やベビーカー以外で自然に寝るなどほとんどなかった息子。

ここでパパの登場である。

ママが寝かし付けをするとおっぱいを欲する可能性があったので、ここはパパに寝かし付けをお願いした。

寝室に二人で消えていくも…聞こえる泣き声、泣き声、絶叫…!!!

わぁあ、これは親子お互い辛いなぁ、と聞き耳をたてていたのだが、数十分経っても泣き止む様子はないので、結局私も寝室に参戦…!

そこには、のけぞりながら号泣している息子がいた。

ひとまず身体を抱きしめ、抱っこしながらトントン。しばらくは泣いていたが、少しずつ落ち着いたところで、ゆっくりと一緒に横になる…と、なんとびっくり、そのままこてんと寝たのである。

特におっぱいを欲する様子でもなかったので、いつもと違う状況(パパとねんね)に驚いていたのもあったかなぁと反省。

就寝時間10時。まぁ初日にしては上出来であろう。

今夜は頻繁に、起きるかもしれない…とソワソワしていたが、その日朝が来るまで息子に起こされることはなかった。

スムーズな滑り出しに安堵するも、想定外の乳の痛み!

思いの外、スムーズすぎるぐらいの滑り出し!

そんなありがたい状況のはずなのに私はほとんど眠れていなかった。

そう、カチコチに張ったおっぱいの痛みである。

仰向けに寝ても横向きに寝ても、痛い、痛すぎる。

これは我慢ならないと夜な夜な流しに必死で乳を絞るも、気休め程度にしか改善せず、またすぐにカチコチになる…。

これは産後のおっぱい製造期以上の痛みであった。

こんな身体のときに抱っこをせがまれていたらと思うとゾッとする。いや、おそらく抱っこは無理だったであろう。

少しでも何かが当たると猛烈な痛み!

土曜日からの断乳で、月曜日に桶谷式を予約していたので、あと一日我慢すれば…という状況であったが、非常に長い一日であった。

抱っこなどはすべて旦那が変わってくれたのが大きな救い。

当然、2日目も丸一日痛みとともに過ごし、浅い眠りにつく。

断乳前はちょこちょこ吸いだったし、大した量は出てないから大丈夫だと軽く考えていたが、、、これは痛い。

頭の中が痛いしかない。保冷剤で冷やしたり、相変わらずちょこちょこ手で絞ったりしても気休め程度。

それでもなんとか2日間を乗り切った。

やっとの想いで桶谷式の施術を受け、ほっと一息!

カムバックふわふわおっぱい!!を体感し、安堵。本当に魔法のようである。

実は3日目の朝ぐらいにはだいぶ痛みがマシにはなってきていたのだが、桶谷式の魔法を受けずにはいられなかった。それほどスッキリするのである。

先生に「痛みのピークは過ぎましたかね?」と聞いてみると、よっぽどここから更に痛くなることはないでしょうとのこと。

お話をしていると、なんと断乳初日は入浴を控えるべきだったということが判明。

それに加え、「初日はご飯をいつもより少なくして入浴もやめとかないと。どんどん母乳作っちゃうわよ!」とのこと。

えーーー!無知だった自分は、遊び疲れたので夕飯を外食(しかもバイキング)、お風呂もしっかり入っていたのであった。

どおりで悶絶するほど痛い訳だ。

断乳イベント乗り越えたその後

先生のお話どおり、おっぱいがその後痛くなることはなく、一週間立つころには通常の生活をできるようになっていた。

肝心の息子はというと、突然おっぱいを欲しがるようなことはなく、夜の寝かし付けも少しずつコツを掴んで、(背中をトントンしながら子守唄)なんともスムーズに息子は大好きだったおっぱいを卒業した。

想定していた、一晩中抱っこで格闘、のような事態は一切起こらなかったのである。

いやー、大変だろうな、とずっと先送りにしてきたが、これは断乳に踏み切って良かったなと安堵。

おっぱいを卒業したことにより、あまり食べてくれなかったご飯も、以前よりはしっかり食べてくれるようになったし、今思えばここまで躊躇する必要なかったのかもしれない。

家庭に合った断乳するタイミングを見極めよう!

思いの外スムーズに進んだ断乳であったが、これも結果論で、こどもによって反応は様々だろうし、何が一番いいのかなんて、きっとどんな育児書やブログにも載っていないであろう。

一番大切なのは、母親が断乳を納得していること、決心がついてることなのだろうな、と思う。

実際、私も断乳を経験して、子供以上に自分が乳離れ(母乳をあげること離れ)できていなかったんだな、と痛感した。

やっぱり我が子が一生懸命おっぱいに吸い付いてくる様子は、めちゃくちゃ可愛いんだよね。

今や、母乳は3歳まで飲ませよう、という流れがあったり、母乳の免疫効果に注目が集まったりしているので、私も子供が自分から卒乳するまで待とうかな〜なんてお気楽に考えていたけど、乳腺炎になったことである意味決心がついた。

もちろん、特に授乳することによるストレスがないのなら卒乳を待つのも一つだし、家庭によって色んな考えややり方があるはずである。

ただ、断乳を乗り越えた達成感はすごく大きかった。(笑)まぁ、「自然に一歳前後で吸わなくなったよ〜」なんて友達がすごく羨ましかったのは言うまでもないのだけど。

余談ではあるが、断乳してからのお楽しみ、そうお酒が飲める!!!と息巻いていたのに、なんとこのタイミングで第二子妊娠が判明。

結局、お酒はあともう2年ほどはお預けになってしまったのであった。。。

プロフィール

子育てママ
2歳の息子と0歳の娘を育てる子育てママです。

ネット、雑誌、書籍などで、子育ての情報収集するのが、いつのまにか日課に。

とはいっても、基本はマイペース。モットーは「おおらかな子育て」です!



最近の関心事は節約!

子どもと日々の暮らしを楽しみつつも、いかに家計を無駄なくコンパクトにできるかを研究中♪
子育てママ: 2歳の息子と0歳の娘を育てる子育てママです。 ネット、雑誌、書籍などで、子育ての情報収集するのが、いつのまにか日課に。 とはいっても、基本はマイペース。モットーは「おおらかな子育て」です! 最近の関心事は節約! 子どもと日々の暮らしを楽しみつつも、いかに家計を無駄なくコンパクトにできるかを研究中♪